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平成28年7月15日(金)
【 祇 園 祭 】
みなさんおはようございます!
京都市西京区 あやた接骨院 綾田です。

今日の京都市西京区上桂は曇りです。

祇園祭は、八坂神社の祭で毎年7月1日(吉符入)から31日(疫神社夏越祭)まで、1ヶ月にわたっておこなわれます。

17日(前祭・山鉾巡行と神幸祭)と24日(後祭・山鉾巡行と還幸祭)その宵山が広く知られています。
 今からおよそ1100年前の清和天皇の貞観11年(869)に、京洛に疫病が流行し、庶民の間に病人、死人が多数出ました。 これは、牛頭天王(ごずてんのう、素盞鳴命ともいわれている。)のたたりであるとし、そのご機嫌をとるため神をまつり、衹園社(八坂神社の前身で、祭神は素盞鳴命)を信仰し、病魔退散を祈願しました。 その方法は、日本全国の国の数に準じて66本の鉾をつくらせ、それを神泉苑(中京区御池通大宮)におくり、悪疫を封じ込む御霊会をおこなったのがはじまりであると伝えられています。 その後、衹園社の興隆とともに、”衹園御霊会”とよばれ、この名が略されて単に衹園会とよばれるようになりました。はじめのころは、疫病流行の時だけ不定期に行われましたが、円融天皇の天禄元年(970)からは、毎年6月14日におこなわれるようになりました。 その間、保元、平治の乱に一時絶え、足利時代に再興、足利将軍、夫人らが観覧したことが記録に残っています。

しかし、応仁、文明の乱に京都は焼野原と化して折角の衹園会の興隆に一頓挫をきたしましたが、すでに町衆の手に支配されていた衹園会に対する熱情は容易に屈せず、大乱の約30年程のち、明応9年(1500)6月には再び山鉾26基が巡行したと伝えられてます。

これらが契機となり、山鉾は町衆の手によって創意がこらされ、内容外観ともに豪華、絢爛なものとなりました。

永正元年(1504)6月には後柏原天皇もこの衹園会を観覧していますが、当時の町衆の信仰と勢力は次第に大きくなり、天文2年(1533)一向一揆に際して室町幕府は神事停止を命じましたが、”神事無之共、山鉾渡し度し”と申し出るほど町衆の山鉾存続への熱意が高まっていきました。

鉾が今のような形になり、豪華な飾りをつけるようになったのは、桃山時代から江戸時代にかけて貿易がおこり、町衆階級が勃興して舶来のゴブラン織や西陣織などが競って用いられるようになってからです。           

(写真・文章 京都市観光協会HPより)


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7月15日(金)の予約状況です。
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